「看護師の仕事」と聞いてどのような行為をイメージするだろうか。多くの人は、体温を測ったり、検査のための採血をしたり、身体を拭いたりなど、医師の診察の手伝いや入院中の検査や身の回りの世話をしている姿を思い浮かべるだろう。
成人・高齢者看護分野の伊藤美香助教はこう言う。「実はその時、看護師は患者さんの状態を目で観察しながら、手で身体に触れながら、情報を収集しています。情報は計測した数値や患者さんの伝える言葉だけではありません。“あれっ、何か違う”、“何か変だ”という直感的な気づきからはじまり、実測や観察を行いながら、一つひとつのケアを行っているのです」
“看護は観察にはじまる”といわれているように、看護師は何気ない振る舞いの中で、患者を注意深く観察しているのだ。
フローレンス・ナイチンゲールは、『看護覚え書』(1860年)の中で、初めて“看護とは何か”を明確にした。そこには「看護であるもの」と「看護でないもの」を判断する「ものさし」が記されており、「看護であるもの」は、回復過程を促進するような援助、生命体にとってプラスになるような援助、生命力の消耗を最小限にするような援助、生命力の消耗を最小限にするような援助、生命力の幅を広げていくような援助、持てる力を活用し高めるような援助のことを指している。同時に、「看護とは、自然がはたらきかけるに最も良い状態に患者をおくことである」と述べている。
「つまり看護とは、この回復過程にある患者さんのもてる力を最大限活用できるように援助すること(ケアすること)なのです」と伊藤先生。
看護の具体例で考えてみよう。大腿骨頸部骨折(太ももの大きな骨の足の付け根部分の骨折)の手術を受けた直後は、安静のために風呂には入れないが、もし患者さんが普段からゆっくり風呂につかることが何よりの楽しみだったとしたら?お風呂には入れないが、足をお湯につけてあげることはできる。
伊藤先生はいう。「制限があり自由にできない状況であっても、可能な限りできることを考慮した看護師の提案によって、患者さんは気持ち良さを感じるケアを受けることができます。これが“生命力の幅を広げていくような援助”なのです。
このように日常的に行われるケアひとつを見ても、看護師は何気ない患者のひと言や行為から情報収集をして、今何をして欲しいのか、どうなりたいのかを多様な視点から見なければならない。持てる力を最大限発揮できるよう患者に働きかけることが看護師のケアなのだ。
「自分自身の手と目を使って、情報収集を始めてみて下さい。それがケアの第一歩である“観察”です。看護の“看”という字は、“手”と“目”の字が合わさってできています。どうか優しい眼差しで、そっと手を添えて下さい」と伊藤先生は話す。