病気の「予防」の前の「健康増進」や、さらにそれに先立つ「先制医療」が、近未来の医療として注目されている。疾患の先制医療とは、病気や障がいの根本原因としての遺伝子に対して、それらが発症する以前に先制的かつ精密に対処してしまおうという医療技術だ。
たとえば、あるカップルが将来産む子どもが将来どんな病気になるかの確率を調べ、あらかじめゲノム編集によってその病気を回避したり、寿命の予測値や生涯医療費としていくらかかるかが事前にわかるようになるのだ。
「その基本になるのは、男女の全遺伝子情報をAIに読み込ませ、遺伝子の欠損や人生における発症時期と重篤度、さらにはその疾患の治療にかかる費用を、ビッグデータを用いてAIが推測、判断する情報技術です。これがAI統合型先制精密医療です」と話す松下博宣教授。
システム科学、医療管理学が融合する医療情報学の視点から、大きく変化している医療情報学を研究する松下先生。その研究成果は国際的に認められ、2020年に世界を代表する学術出版社Springer Nature社からHealth Informaticsの専門書を刊行している。
「このような情報イノベーションは、社会システムの大きな進化ともいえますし、見方によっては神の領域への侵犯ともいえるかもしれません。ただ、いずれにせよインターネットにつながった各種医療機器やデバイスがセンサーとして多種多様、大容量な情報を高速・高頻度にやりとりして感知、集約し、それらがビッグデータ化され、AIが分析、判断していくことは、これまでの情報のあり方と大きく異なります」
こうした時代には、医療情報イノベーションと賢くつきあうための「賢慮」が必要だ、と松下先生は話す。
「賢慮とは、利用可能な医療技術の実態を見極め、医療情報イノベーションの姿を正しく知り、効用とリスクを見極め、自分自身に取り込んでいくかどうかを見分けるための知識、知恵のことです。積極的に医療情報イノベーションの成果を活用して、上手につきあって生きていこうとする人もいれば、単純素朴な幸せを手に入れるために、あえて距離を置くと言う人もいるでしょう。いずれにせよ、先制精密医療と賢くつきあうためには、私たち人間の側に賢慮が問われているのです」